『ボヘミアン・ラプソディ』を観て思った事。どうしても今のTOKIOと重ねるのは仕方がないと思う…
昨日の事になるが、ボヘミアンラプソディを観てきた。
なのでネタバレしますからこれから観る方は読まないでね!
雨も降ってないし、少し寒いだけなので自転車で行く事にした。ところが軽い生地のスカートにしたらめくれるめくれる。
タイツはいてるし暗いからまあいいやと思ったけど、途中で地下鉄にしようと思うくらいめくれたので、地下鉄にしようかちょっと迷った分遅くなってしまった。
ミッドランドスクエアシネマに行ったらなぜか食べたくなるfish&potato&orangejuice(何故英語)を半分食べたところでアナウンスが流れた。やっぱりロスしたから余裕がなくなってしまった。慌ててfish&potatoをかっこみorangejuiceを持って中に入った。
ああこんな私の事情はどうでもいい!
私がQUEENについて知ってるのは、ボーカルがフレディ・マーキュリーって事。あと、有名な曲を数曲知ってるくらいである。フレディがエイズで亡くなった事も知ってる。しかしバンドで何があったか全くと言っていいほど知らない。
そんな私が観た感想なので、深く掘り下げたものではないのだが興味がある方は読んでみて下さい。
とりあえずエンディングでご本人達が出てきて思ったのは、
「メンバーから家族からキャストみんな似すぎじゃね?」
って事。そしてフレディの口元が始めのうち気になって気になってしょうがなかった。こんな口元だったっけ?
しかしティアドロップのサングラスをかけると一気に〝フレディ・マーキュリー〟になってすげーと思った。
(何だこの小学生のような感想文は)
それから…うん、そうだな。結論から言うと(ここで結論)スケールでは比較にならないほどのスーパースターであり伝説となっている〝QUEEN〟。
だが、やはりバンドの大先輩なので愛するTOKIOと重ねて観てしまうのは、TOKIOが好きならみんな同じだと思う。
TLにも流れてきて知ってた
「バンドは家族」
と言う言葉。何度も何度も出てきてそれに続く「何度も喧嘩する」だったか「争う」だったか忘れてしまったけど、こんなのもうまさに『愛!wanna be with you…』じゃないかと思った。そしてその度に胸が締め付けられた。
下手したら…そうでなくても家族より長く時間を一緒に過ごす仲間。
メンバーとの葛藤に疲れていたフレディは桁違いの報酬のソロ活動になびいて自分を失いかけた。そんな自分に気づいてメンバーの元に戻りLive Aidに出ようと準備し始める辺りからずっとずっと涙が流れて最後までじわじわ泣いてた。
Live Aidでの観客の幸せそうな顔。一緒に拳を振り上げ歌い叫ぶライブ。私はやっぱり特定のファンにサービスするライブよりも会場全体を包むファンサが好きだ。全員で盛り上がるバンドのライブが好きなんだと実感した。
確かもう終わってしまった応援上映行きたかったな…ライブのシーンでは立ち上がり一緒に手を叩きたかった。
Live Aidとは全く規模が違うけど、もっと広い野外ステージにしてもきっと満杯にする事が出来たであろうSUMMER SONIC。TOKIOにもファンであろうとなかろうとそこにいる観客を幸せにするパワーはある。絶対に。
とにかく観たくて観たくて映画館に観に行ったけど、映画の中の台詞と以前智也がナガスタで
「ソロでできたらどれだけ楽だろうと思う事もある。だけどバンドが好きなんだ。TOKIOが好きなんだ。」
…って言ってたのが重なった。そんなに大切に思っていた『TOKIO』の形が突然根本から崩れ去ってしまったらそのショックの大きさ、メンバーの傷の深さは如何程だろう。そして音をまた作り上げる事の作業の途方もない道のりを思った。
そんな事を考え始めたら、早く早くと言ってしまうけどあまり言っても迷惑かと思ったり、でも言わなければファンが待ってる事が伝わらなくて「誰も待ってないみたいだからもうやらない!」ってTOKIOが勘違いしたら泣くに泣けない。
TOKIOがバンドをまた以前のようにしてる時に『ボヘミアン・ラプソディ』を観たら
「あーわかるこれ!」
「こんな事あったよね!」
「感動した!」
って心から言えるんだろうけど、今の状態では、観た結果自分がファンとしてどうしていけばいいのか分からなくなって余計に気持ちが複雑になってしまったのである。
多分この映画も版権等の問題がなければ来年くらいにWOWOWで放送されるだろう。その時には
「あーわかるこれ!」
「こんな事あったよね!」
「感動した!」
ってテレビの前で手放しに号泣したい。