東日本大震災から8年
母が糖尿病の検査と治療を兼ねて入院したと前回のブログで書いたが、1週間が経った。入院して適切な治療を受けたことにより本人の身体も気持ちも落ち着いているようだ。父も意外と1人を満喫している…まぁ今のところは2週間と期間が決まっているからかなと思っている。
そして…今日は3月11日だ。当時のことは8年経っても鮮明に覚えている。ブログを立ち上げて初めての3.11なので忘れない為にも書いておこう。
昨日くらいからテレビで東日本大震災関連の情報が流れ、TLにも流れてくる。
朝たまたまつけていた〝とくダネ〟で、遺構として整備され残された高校を取り上げていた。津波によって教室に流れ着いた車やめちゃくちゃになった机、教科書…。
見ていたら様々な記憶がよみがえり辛かった。
被害に遭われた方のご冥福をお祈りします…。
地震が起きた時、私は休憩中で購入したばかりの創刊4周年の『AneCan』を読んでいた。TOKIOが載ってたからね。
夢中で記事を読んでいたし、最初目眩かと思った。でもライトが揺れていて地震だと分かったのである。名古屋は震度3だった。
座っていたので大きく揺れた感じがしてすぐにテレビを付けた。そこで最初に見たニュースは「接骨院の看板が落ちて人にあたりけがをした。」というものだった。
接骨院の看板なんて余程の事がない限り取り替えないからうちでもありうる事だなぁと…と今から思えばお気楽な心配をしていた(ちなみに看板は台風も乗り越えまだ健在)。
しかし…津波が起き画面から流れるあまりの状況にテレビの前から動けなくなり、接骨院の午後の部が始まっても患者さんは誰一人来なかった。みんな同じ気持ちだったのだろうか…とにかく恐ろしかった。
震災が起きて記録として何か残しておかなければと思ったので、地震が起きてから何日分かの新聞を捨てずに取ってある。しかし見ていない。と言うかいまだに見返す事ができないでいる。
そして、津波さえなければ…
原発事故さえ起きなければ…
と繰り返し思う。
昨日のDASH。何故ひとかけらも震災について触れなかったのかな?
現在のDASH村の様子も少し前にTLに流れてきたスポーツ新聞の記事で知った。
これからどこかで触れるのかな?
このままスルーって事は
まさか…ないですよね?