I wanna be with you…

ハルと申します。長瀬智也くんとTOKIOが大好きです!智也の事色々語りたい…

あれから2ヶ月と少しが経ってまた思う事。

TOKIOが楽器を携えてテレビに出た
一番新しい記憶はカウコンだったのか?
思い出してたんだけど、
その時智也は少し元気がない感じだった。


思い当たる事はあるようなないような…




怒涛の番宣雑誌祭りから
空飛ぶタイヤ」も無事公開され
大ヒットして気持ちも落ち着いてきた
今日この頃。
やはり思うのはバンドTOKIOの事…。

夏の音楽祭シーズンが来て
TOKIOの出演はことごとくないと、
わかってはいたけどやっぱり悔しい。


ホントに何してくれたんだよって思う。


「5人じゃなきゃTOKIOじゃない」
「達也さんがいなきゃ見られない」
「早く帰ってきて」


…アホか。


何をしたかわかってるの?
分かってないよねそんな事を言うなんて。
分かってないと言うかもう忘れてるのかな?


その前から音楽活動が何だか不安定で
シングルやアルバムも出ないし
どうなってるの?って
不満が爆発しそうだった。


そこへ追い打ちをかけるように
起きたあの事件…。


TOKIOの活動はめちゃくちゃになった。


辛いのは残された4人でしょうよ。


頼むから
「5人じゃなきゃ」とか
「早く帰ってきて」とか
言ってくれるな。
私は4人でも変わらずTOKIOとして
活動してくれたら嬉しい。
新たな形でのTOKIOの音楽を聴きたい。


第一山口くんは病気だから。
「早く帰ってきて」
じゃなくて
「今はTOKIOの事も芸能界の事も忘れて
自分の体と心をしっかり治して」でしょ。


大人だったら事実を受け止めて下さい。


ここのところDASHはリアタイできないので
録画で観ている。
久しぶりに智也の歌声がテレビから…
それも〝HEART〟。
明るい歌声。もっと聴きたい。

…あ〜。

あっという間に終わってしまった。


辛いなぁ。
曲は流せるけど映像は無理?
TOKIOのエピソードを語る時に
過去映像を振り返るのも無理?
無理だよね。
だって山口くんは一般人だもの。


あの日からやっと2ヶ月。


TOKIOがデビューしたのは、
1994年9月21日。
281ヶ月(あってる?w)、
約140倍の日々を5人は一緒に歩いてた。
圧倒的に多すぎるんだよ思い出が。


2ヶ月では思い出もへったくれも
あったもんじゃない。
赤ん坊ならまだ首も座ってないぞ。


徹子の部屋〟に智也が出た時。
あとから加入した自分に
ひどい仕打ちをしたファンから
庇ってくれたのは山口くんって
言いたかっただろうに
知って欲しかっただろうに
言えなかった。


感謝したい人の名前を口に出せないなんて、
辛すぎるでしょ。


TOKIOが4人になったのは
TOKIOを守るため。
地道に積み上げた信頼の上にある
TOKIOの仕事を継続させるため。
だからお願いです。
何度も言うけどTOKIO
必死に守っている彼らに
届いてしまうかもしれない形で
「5人に戻って」
とか
「5人じゃなきゃ」
とか
言わないで。
今はお願いだから言わないで。


そんな事彼らが一番わかってる。
5人のTOKIOをしたくてもできないんだよ。
そうしたのは誰なんだよ。




…このブログを公開するかどうか迷った。
「嫌な事を書くので」と言う前置きも
敢えて書かなかった。
だって前置きを書いたら
読んでほしい人には届かない。



あれから少し時が経って、
後輩グループの事もあったりして
その事と処分の差を比べてる意見も見た。
でも、それと一緒にはできないんじゃない?
山口くんの場合、
最悪起訴されて裁判という事態に
なってたかもしれないんだから。


またこの事を書くのかと思う人もいるだろう。
でもやはり今、
TOKIOが置かれてる状況を思うと
いち個人の考えとして
どうしても書いておきたかった。
色んな考えがある中での
あくまでもひとつの意見。
こんな考えの人間がいると言うことも
知って欲しかっただけ。


あ〜どうしてもこの事を書くと暗くなる。
当たり前か…
変だよねこんな事明るく書いたら。